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エルサレムの聖チリロ総主教教会博士 St. Cyrillus Hierosolymit. Patriarcha et D. E.. 記念日 3月 18日
 


 同じくチリロ総主教教会博士と呼ばれる聖人に二人ある。共に3世紀に生まれ、アリオ派の異端者に苦しめられつつもその謬説と闘った人であるが、一人は2月9日に記念されるアレクサンドリアの聖チリロで、他は本日祝われる聖チリロである。

 このチリロは西暦315年頃生まれた。20歳までは退いて宗教研究に精魂を打ち込み、聖書はおろか教父の著書なども余す所なく調べ究め、傍ら異端説なども一渡り研究していよいよ聖教の真理なるを悟った。19歳の時エルサレムの司教マカリオに選ばれて助祭となり、信者等に説教したり求道者を導いたりしたが、彼の教え方が如何に諄々として痒いところへ手が届くようであったかは、その求道者の為の著書を見ても知られるのである。

 チリロは助祭たる事10年にして司祭となり、又5年を経てマカリオの後継者に挙げられ、全キリスト教会の母教会と言われるエルサレム教会の総主教となった。これは彼にとって名誉であるよりはむしろ苦しみの因であった。何となればその為に彼はアリオ派の異端者達に迫害の目標とせられ、前後三度も総主教座より追放され、三十五年の主教生活中十六年は流謫の中に送らねばならなかったからである。

 最初の追放の原因となったものは「チリロは聖堂の聖具を片っ端から売り飛ばした」という反対者の非難であった。チリロはかって大飢饉の時、貧民達に食物を買い与える為、典礼にさほど必要のない聖具を売って金に換えたことがある。かような事は「貧者の父」と呼ばれる彼には別に珍しからぬ事であったが、愛の精神をわきまえぬ異端者等は、得たりかしこしと之を冒涜の仕業の如く吹聴、攻撃したのであった。それは罪人を憐れみ罪人と食事を共にされた主イエズスを非難したファリザイ人のやり口にも比べられよう。

 チリロは流謫の間にも決して徒に月日を過ごした訳ではなかった。或いは我が教区信徒の為に祈り、或いは我が身の徳を磨きなどしたのである。そしてあの名著、教義解説をものにしたのもその時の事であった。
 彼がまだエルサレムに主教たりし頃の事である。明らかに奇跡と認めるべき二つの現象が起こった。その一つは351年5月7日午前9時頃、カルワリオからオリーブ山まで約4キロほどにわたって、空に大いなる十字架の形が現れ、太陽を欺くばかりの強い光を放った事で、為に信者は深い慰安を受け、未信者は感動して多数改心した。その詳細はチリロがコンスタンチオ皇帝に送った書簡中に記してあるが、ギリシャ教会では今なお5月7日に右の奇跡を祝うとの事である。
 もう一つの奇跡は更に偉大なもので、背教者ユリアノ皇帝がキリスト教の真理に非る所以を立証しようとして、エルサレム神殿に関するキリストの御預言「一つの石も崩れずして石の上に遺されじ」(マルコ13−2)を成就せしめぬ為69年ティトー将軍の軍兵に完膚無きまで破壊された神殿を再興しようと思い立った時の事である。皇帝の援助に喜び勇んだユダヤ教徒は廃墟の後かたづけをしていよいよ再建築に取りかかろうとした。キリスト教徒は、皆主イエズスの御預言が空しくなりはせぬかと懼れている。主教チリロは「天地は過ぎん、されどわが言葉は過ぎざるべし」との主の聖言を引いて懸命に彼等を宥めていた。所がユダヤ人等が礎石を据える為に地面を掘ると、たちまち地中より物凄い火焔が吹き出して、ある者は焼け死に、ある者は大火傷を負い、幾たび繰り返しても同じ災いが起こり、とうとう工事続行は不可能に陥ってしまった。キリスト信徒の喜びは言うまでもない。聖教の真理に非る事を証拠立てようとした背教者の企てが、却って聖教のことごとく真理なる事を証明する結果となったからである。チリロを始めエルサレムの信者等は目前の事実に益々信仰を堅め、衷心から天主に感謝した。これは当時異教の歴史家までもその著書に記している有名な奇跡である。

 その後チリロは67歳の時、381年コンスタンチノープルで開かれた公会議に列席し、マケドニオの異端に対して聖霊の天主に在す事を議定したが、それから5年を経て386年安らかにこの世を去った。行年72歳


教訓

 ユリアノ皇帝の天を恐れざるエルサレム神殿復興の計画が着々と実現されるように見えた時、信者の中には主の御預言に疑いを抱いた者もあったが、聖チリロ総主教は些かも動揺の色を示さず、却って人々を励ましその信仰をかためる為に努力した。我等も彼に倣い、主の聖言をあくまで堅く信ずるように努め、又その助けとして日頃よく教理を研究し、しばしば心を以て、口を以て「主よ我は信じ奉る」(ヨハネ9−38)と祈らねばならぬ